宣教師ルイス・フロイスが暴君と呼ぶ豊臣秀吉が、伴天連/ばてれん、追放令を発したのは、1587年7月24日/天正15年6月18日、だ。

これは、天正の禁令として知られる、第一回のキリシタン禁止令である。

以後、徳川時代にかけて、次々に発せられた禁止令の理由を纏める。

一、植民地主義への防御策

キリシタンの宣教は、西欧諸国の植民地政策と結びついてい。

それは、初めに、宣教師を送つて其の国をキリスト教化、次に軍隊を派遣して征服、最後に、植民地化するという政策だ。

秀吉は、早くも、此の策略に気づいて主君信長に注意を促してりる。

ポルトガルやスペインは、カトリック教国であり、強力な王権をバックに、大航海時代の波に乗り、機能的な帆船や、破壌力抜群の大砲を武器として、世界を席巻する植民地帝国を築き上げていつた。

そこで、帝国が築き上げた植民地や、其の植民地を繋ぐ海のルートを通り、亜細亜での一獲千金を夢見る冒険家たちが、何百何千と金稼ぎに飛ぴ出して行いつた。

斯くなる状況のなかで、カトリックの宣教師連中も霊魂の救いを目指すと云う一大テーマを掲げて、亜細亜に乗り出した。

フランシスコ・ザビエルがゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てた手紙から引用する。

神父が日本へ渡航する時には、インド総督が日本国王への親善と共に献呈できる様な、相当の額の金貨と贈り物を携えてきて下さい。

若しも、日本国王が私たちの信仰に帰依することになれぱ、ポルトガル国王にとつても、大きな物質的利益を齎すであろうと神かけて信じているからです。

堺は非常に大きな港で、沢山の商人と金持ちがいる町です。

日本の他の地方よりも銀か金が沢山ありますので、此の堺に商館を設けたらよいと思います。書簡集第九十三。

それで、神父を乗せて来る船は胡椒を余り積み込まないで、多くても80バレルまでにするように。何故なら、前に述ぺたように、堺の港についた時、持つてきたのが少なけれぱ、日本で非常に良く売れ、沢山金儲けが出来るからです。書簡集第九。

ザビエルはポルトガル系の改宗ユダヤ人/マラーノ、だけあつて、金儲けには抜け目ない様子が、手紙を通じても窺われる。

ザビエル渡来の三年後、ルイス・デ・アルメイダが長崎に上陸した。

此の吾人も改宗ユダヤ人で、ポルトガルを飛ぴ出してから世界を股に架けて、仲介貿易で巨額の富を築き上げていた。

何故か、日本に来てイエズス会の神父となり、其の財産をもつて宣教師たちの生活を支え、育児院を建て、キリシタン大名の大友宗瞬に医薬品を与え、大分に病院を建てた。

一、奴隷売買

しかし、アルメイダが行つたのは、善事ばかりではない。悪事もあつた。

それは、奴隷売買を仲介したことである。

ここで、天皇のロザリオ/鬼塚英昭著、を、引用する。249㌻~257㌻。

徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録が載つている。

『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、喚く様地獄の如し』。

ザヴィエルは、日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ/改宗ユダヤ人、のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとに行つたが、報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

『行く先々で日本女性が何処迄行つても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白く見目良きき日本の娘たちが秘所まるだしに繋がれ、弄ばれ、奴隷らの国にまで転売されて行くのを正視できない。鉄の伽を嵌められ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、元々なれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石/火薬の原料、と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

日本のカトリック教徒たち/プロテスタントも含めて、は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた/50万人の悲劇、を、火薬一樽で50人の娘が売られていつた悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。

数千万人の黒人奴隷が亜米利加大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。其の勇気があれぱの話だが。天皇のロザリオ、から。